「腕時計の針が」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 2024年11月21日
- 読了時間: 5分
更新日:3月22日
休日、鎌倉には家族連れがたくさん訪れる。子どもたちが海辺をかけまわったり、小町通りで食べ歩きしたり。元気に動き回る姿がかわいらしくてつい目で追っている。
気がついたのは、小さな腕にはめている腕時計だ。けっこう見かける。カラフルな色でデザインもかっこいい。今は小学生でも腕時計を持っているんだなあ、と昭和に育った私は驚いている。
昔は気軽に買える値段の時計はなかったし、子どもが持つものではなかった。私が腕時計を買ってもらったのは高校に入学するときだ。たぶんどの家庭もそうだったと思う。真新しい学生カバンを持ち、左手首に時計をすると、おとなにならなくちゃという気分になった。もしなくしたら、こわしてしまったら、と最初は不安だった。
そのころ星新一のショートショートが流行っていて、私も夢中になって読んでいた。しゃれたユーモアと風刺、クスッと笑いゾクッと恐くなる不思議な短編ばかり。その中に腕時計がテーマの小説があった。ひと目惚れして買った腕時計を大事にメンテナンスしていた男性。いつも正確に時を刻んでいたのに、旅行に行く朝に時計の針が遅れてバスに乗り遅れてしまう。すぐに時計店に行って調べてもらったが異常はないという。どうしたのだろう。そのとき、乗るはずだったバスが大事故に遭ったとラジオで知る。時計が命を助けてくれたのだ、というお話。
当時は斬新なテーマだった。いつも身につけて愛情を注いでいる腕時計が心を持つ。それもあるかも、とおもしろく読んだが、だからといって私も腕時計を大切にしようとは思わなかった。学生カバン同様、雑に扱っていたような気がする。
高校生、大学生、社会人になってからもずっと腕時計は身につけていたが、10年くらい前からだろうか、時計をせずに外出することが多くなっている。バッグに携帯電話が入っているから、時間を知りたいときに見ればいい。いつも正確な時を教えてくれる。ただ、たまに携帯を忘れて出かけたときには、困る。今何時?とあちこち見渡して時計を探す。
どうも携帯の普及で町から時計が消えているようだ。駅や公園、飲食店。以前は大きな文字盤の時計が目についた。なんでもJR東日本では駅構内の老朽化した時計を徐々に撤去しているという。世の中は変わっていくんだなあ。鎌倉駅の正面に構える大時計を見上げると、なんだかホッとする。それに忘れてはいけない。西口にあるとんがり帽子の時計台。旧駅舎の象徴は、保存された今も時を刻んでいる。
普段はしなくなった腕時計だが、長い人生、買ったりもらったりして何本も持っている。みなさん古い時計はどうしているのだろう。私は雑に扱った高校時代の時計も引き出しの奥にしまってあるから数は多い。でも、普段使うのは2、3本。久しぶりに使おうと取り出すと電池切れで止まっていたりして、ほとんどが日の目を見ていない。
特別な1本は、大柄な私には似合わない華奢な時計。母の遺したものだ。私が幼いころから見ていた記憶があるから、60年くらいは経っている。セイコーの細いブレスレット風のベルトで、文字盤が1センチもない小さな時計だ。
「ね、この顔がかわいいのよ」と母は腕につけるたびに文字盤をなでてそう言っていた。
そのころの女の人は手首の内側に文字盤を向けていた。着物を着た母がその時計をして玄関を出ていく姿は、しゃきっと晴れやかだった。
母亡き後、私はお墓参りに行くとき、この時計をする。出かける支度をととのえて、「じゃ、行くよ」と時計に声をかけてネジを巻く。そう、手巻きなのだ。小さなリューズだし、なにせ古い。こわさないようにそっと巻く。眠っていた時計が息を吹き返す。
父の形見のオメガは、夫がもらい受けてくれた。法事のときなどにさりげなく身につけているのがうれしい。腕時計は時を知るためだけでない。歳を重ねるにつれて思い出が降り積もり愛着が深まってくる。今、星新一の腕時計の話を読んだら、もっとじんわり胸に響くことだろう。
今年5月に、作家の三木卓さんのお別れ会が東京で行われた。「かまくら春秋」で30年間「鎌倉その日その日」を連載し、昨年11月18日に亡くなられた。

会が始まる少し前に、学士会館の会場に入った。祭壇には鎌倉で摘んだ野の花が飾られ、貴重な初版本などが展示されていた。
その中に腕時計があった。1973年に芥川賞を受賞したときの記念品だ。長年愛用していたらしく、銀色のベルトは曇って細かい傷もある。
はっと気がついた。
時計の針が動いている。秒針が正確に進んでいた。
たぶん自宅から会場まで運ぶ間に振動で動き始めたのだ。自動巻きの時計なのだろう。
そういうものだとわかっていても、動く秒針から目が離せなかった。
お別れの会には三木さんと長年交流のあったたくさんの人が思い出を語った。
童話作家の角野栄子さん。三木さんと同い年だという。
「三木さんは私より4カ月遅く生まれてるのね。だからあなたは弟よといつも言ってましたが、本当はお兄さんのような存在でした」
静岡高校の後輩だった作家の村松友視さん。
「高校に入学したときに、先生が「先輩にすごい人がいた」と言うほどすでに三木さんは伝説の人でした。編集者という同じ道を歩んでからも作家になってからも、ずっと「すごい人」として私のはるか前にいました」
三木さんと同様昆虫好きで、日本アンリ・ファーブル会会長の奥本大三郎さん。
「虫に関しては、私のほうが先輩ですが——」にやっと笑って会場を見回した。「今日はこの会場のどこかに三木さんが虫の姿で来ているかもしれません」
私はひとりうなずいた。そうです。三木さんは会場にいらしています。腕時計の針を動かしてみなさんにお別れをしているのだと思います……。
あたたかい雰囲気のまま「お別れの会」が終了した。
訪れた人たちは名残を惜しむように、会場を後にしていった。
祭壇の腕時計を見ると、秒針は止まっていた。