「春の始動」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 3月22日
- 読了時間: 5分
更新日:3月23日
啓蟄(けいちつ)という文字を見るとなんだかムズムズする。冬ごもりしていた虫たちがあたたかくなって土から這い出してくる季節。漢字で書くと虫へんのカエルやヘビもその仲間だ。もちろんあちこちで木の芽も顔を出す。やわらかな陽に誘われて、自然はムズムズモゾモゾにぎわってくる。
同じころ、私の鼻もムズムズしてくる。私の場合は花粉症だ。朝起きがけにくしゃみが続けて出ると、あー本格的に花粉症の季節到来か、とティッシュに手を伸ばす。今年の花粉は例年の1.5倍の量で飛散は早く始まったというから先が思いやられる。
でも、春の到来はうれしい。家のまわりではカエルもヘビも出てこないが、寒いうちはいなかったアリやダンゴムシが姿を見せると、お帰りなさいと声をかけたくなる。テントウムシやミツバチ、モンシロチョウも、ようこそ我が家へと出迎える。玄関前や狭い庭で生き物が動きはじめるのは、あたりまえのようだが癒やされる。
ただ、モンシロチョウには困っている。庭のプランターに植えたブロッコリーやルッコラに卵を産み付ける。葉っぱが穴だらけだ。無農薬だから青虫は安心して食べるんだなあ、とそのままにしているが、朝のサラダに支障あり。被害は大きい。これだけごちそうしたのだから、羽化したらまた戻ってきてかわいい舞いを見せてほしいと思っている。
以前、東京の渋谷駅から歩いて10分のマンションに住んでいた。まわりはコンクリートで固められて、虫が出てこられる土はわずかばかり。そのときは啓蟄という季節を肌で感じることはなかった。ただ私の鼻がムズムズしただけ。大きな公園には緑がたくさんあって虫や蝶も飛んではいるが、四階の自分の部屋の窓から蝶を見ることはめったになかった。
それでも、ベランダの山椒の木に青虫を見つけたことがある。ふっくらした青虫が5、6匹、トゲトゲの葉っぱを食べている。ムシャムシャと音が聞こえるくらいの食べっぷりだ。春のタケノコ料理に添えるつもりで買った小さな鉢植えだ。このままでは山椒は丸坊主になってしまう。さて、どうしよう。
料理のほうはあきらめて、私はもうひと鉢買ってきてとなりに置いた。これだけあれば足りるだろう。青虫が鳥に食べられないように網で覆いをし、サナギになるための場所をそばに作った。いたれり尽くせりだ。
そして、羽化する瞬間を見ることができた。
朝早く、ひとつのサナギがモソッと動いた。茶色の殻から頭がのぞくと、触覚がぴょんと跳ねるように飛び出し、ゆっくりと羽の部分が現れた。サナギを脱いでも羽はしぼんだままだ。少しずつ呼吸をするように羽を広げたり閉じたり、だんだん広がって鮮やかな模様が浮き出てくる。きれいなアゲハチョウだが、模様の色がまだ薄い。30分くらい動かずにいただろうか、ふっと飛び立ってベランダから都会の空に羽ばたいていった。
初めて蝶の羽化に立ち会った。ありがとう。この感動は忘れない。そう思ったのだが——。
今も感動は忘れていないが、鎌倉で15年も暮らすとそう過保護ではいられない。葉っぱに青虫を見つけても、あら、いらっしゃい、元気で育ってね、とニッコリするだけ。葉っぱが足りなくなりそうでも、他の葉っぱを食べるか近所のお庭に行ってね、と干渉しない。
無数の命が生まれて消えていく様を間近に見るようになって、自然に任せるのが一番、と達観できるようになった。虫たちとのつきあいが楽になったようだ。
「虫出しの雷」という言葉がある。立春を過ぎて初めて鳴る雷が、冬ごもりしていた虫たちを誘い出すという。音と震動にびっくりして早く出なくちゃ、というところだろうか。天は啓蟄にちゃんと合図してくれるわけだ。
趣のある作業「菰(こも)はずし」も啓蟄のころに行われる。冬が来る前に松の幹にワラで編んだ菰を巻き付けて害虫をおびき寄せ、春になると外した菰ごと焼いて害虫を駆除する。ただ、ほとんど効果がないという調査結果もあるそうだ。寒さで菰に移ってくるのは益虫で、害虫は木の中で冬を越すという。なんと逆効果だったとは。
でも、江戸時代からの風物詩。恒例行事にしている地域もある。菰はずしがないと冬が終わらない。そう思っている人も多いはずだから、きっと受け継がれていくだろう。
もうひとつ、欠かせない風物詩が、奈良の東大寺で行われる「お水取り」だ。

春を告げる行事として奈良の人たちに親しまれている「お水取り」。仏様に懺悔(ざんげ)し五穀豊穣を祈る伝統行事のひとつで、3月1日から14日まで行われる。自然の移ろいで春の気配に触れるのもいいが、1200年以上続いている行事で春の訪れを知るのもうれしいものだ。
何年か前に「お水取り」を観に行った。夕方には二月堂の舞台下は拝観者でいっぱいになる。私もそのひとりとなって暗くなるのを待った。
「お水取り」のハイライトともいえるのが「お松明(たいまつ)」だ。暗闇の中、燃えさかる巨大な松明が二月堂の欄干から突き出される。すると、いきなりの高速回転。グルグルと火の粉をまき散らしながら回廊を駆け抜ける。お堂が燃えるのではと心配になるくらいの炎で、大粒の火の粉が大量に舞い落ちてくる。この火の粉を浴びると無病息災の御利益があるのだそうだ。
大勢の人たちに交じって歓声を上げ火の粉を浴びると、私も「さあ、これで春が始まる」と禊ぎ(みそぎ)を受けたような気持ちになった。
私たちは自然の営みとさまざまな言葉や行事で春の始動を受け止めてきた。
春という漢字の成り立ちは、「𡗗」が「地中にもぐり込んだ草木が生え出る」ことだそうだ。「日」は「陽光」。
そう知って「春」を見る。生あるもの天に向かってまっすぐ伸びろ、と言っているようだ。
私もコートを脱いでグンと背伸びする。鎌倉にも春がきた。