「新紙幣であれこれ」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 2024年10月15日
- 読了時間: 5分
更新日:3月22日
久しぶりに銀行のATMでお金をおろした。もしかしたら、と期待して機械からお札をとり出すと、わ、うれしい。新しく発行された紙幣が混じっていた。
1万9千円おろしたうち1万円札が新紙幣で、千円札は1枚だけだった。宝くじに当たったみたいな気持ち。銀行のATMでもまだ全部新しいわけではないようだ。
20年ぶりの新紙幣発行。発行日の7月3日には大勢の人が行列して両替する様子がテレビに映し出されていた。それから2カ月近くたって、私はやっと手にしたことになる。おや、もうとっくに新紙幣でやりとりしていますよ、とおっしゃる方がどれくらいいるかわからないが、現金を使うことが少なくなったせいで、これまで目にすることもなかった。
どれどれ、家にもどってじっくり観察した。第一印象は、10000と1000の数字が大きくて目立つこと。そのせいかおもちゃのお札に見えてしまうが、これは慣れていないからでそのうち気にならなくなるのだろう。
画期的なのは3Dホログラムだ。1万円札を動かすと渋沢栄一の顔がぐうっと正面を向いてきて目が合う。よくできている。何十年も前、ディズニーランドのホーンテッドマンションで初めてゴーストを見たときの驚きと不気味さを思い出す。いえ、渋沢栄一の顔がどうということではありません。
識別マーク、すかし、マクロ文字に特殊発光インキ、それに3Dホログラムと、絶対偽造はできない、させないぞという日本銀行の意気込みを感じる新紙幣だ。
日本の最新技術を駆使して作ったのに、世の中ではお札の存在感がますます薄れてきているのはもったいない。今は、普段の買い物はほとんど電子マネーかカードで支払っている。早いし、間違いがない。不正に利用されるリスクはあるが、やっぱり便利だ。
でも、鎌倉は現金払いだけの昔ながらのお店がたくさんある。近所の肉屋さん、八百屋さん、和菓子屋さん。ATMで千円札を9枚おろしたのはそういうお店で支払うためだ。
とはいっても、うっかり忘れることもある。先日、和菓子屋でお赤飯ひと折りと大福ふたつを頼んで財布を開けたら、しまった、お札が1枚も入っていなかった。
カードか電子マネーは……、と一応たずねたが、現金だけなんですよぉ、との答え。あわてて小銭を出して数えると530円あった。お赤飯と大福、両方は買えない。
「すみません、お金が足りないんです……」
事情を話し、大福を選んだ。お店の方は、時々同じような方がいらっしゃいますからと笑ってお赤飯をガラスケースに戻してくれた。申し訳ないことをした。できたてのお赤飯もおいしそうだった。いざというときに現金は持っていないといけない。
こんなにネットとカード社会になる以前は、財布に何枚お札が入っているか気にしていたし、一枚一枚に敬意を払っていたように思う。
中学生のときに、お年玉を何年か貯めて1万円になったので定期預金をした。親が社会への一歩を教えようと思ったのかもしれない。そのころは近くの郵便局の人が自転車で家に来て手続きしてくれた。満期をむかえた1年後、1万円札と利子の数百円を受け取ったときのうれしさ。初めて手にする自分の1万円札だ。金額の大きさだけでなく、お札は立派でありがたみがあった。だからかもしれないが、なんといっても1万円札のデザインは歴代の中で聖徳太子が一番だと思っている。
千円札で好きなのは伊藤博文だ。たっぷりした白いひげの顔に、お札全体が白とモスグリーンの色合いで、すっきりと上品だった。今回の新しい千円札は、ちょっと不機嫌そうな北里柴三郎だ。裏返すと、あらまあ、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」だ。これはうれしい。世界で最も知られている日本の絵画のひとつだ。波しぶきや小舟の人物が細部まで再現されていて惚れ惚れする。外国人観光客が記念におみやげにするだろう。
他の国に行って、よく知っている人物や絵がお札に描かれていると、その国に親しみがもてるものだ。

ヨーロッパでユーロが誕生する前、1993年に発行されたフランス最後の50フラン札がサン=テグジュペリだった。紙幣にはヨーロッパとアフリカ大陸の地図、飛行機、それに小さく星の王子さまが描かれている。洗練されていておしゃれだった。
紙幣やコインは国の顔でもある。その国の歴史や文化や学術を代表する人物が描かれて、デザインにもお国柄がにじんでいる。ユーロ以前の、各国の画家シリーズは傑作があった。フランスのセザンヌ、ドラクロア。イタリアのダビンチ、ミケランジェロ。オランダのレンブラント。それぞれの画家の絵が長方形の紙幣に巧みに配置されて、お札自体が一枚の作品になっていた。
日本でも画家の紙幣があってもよかったのに。たとえば、と想像がふくらむ。有名どころで伊藤若冲の「老松白鳳図」が1万円札ではどうだろう。千円札は葛飾北斎の「凱風快晴(赤富士)」。日本経済が勢いづきそうだ。5千円札は——。上村松園か片岡珠子。日本美術を代表する作品で美しい紙幣ができそうだ。次回はぜひ、と願うのだが、どうも次回はないらしい。
新紙幣の発行は今年が最後と言われている。キャッシュレスが急速に進み、次の20年後には今のような紙幣が使われない世の中になっているという。私には想像できないし 大福のひとつくらいは現金で買いたい。それに、お年玉もキャッシュレスに? お札をきちんと折りたたんで心を込めてポチ袋に入れる、そんな風習はなくなってほしくないなあ。まあ私は生きていたとしてもとうに80才を超えているから、ジタバタすることはない。
それよりも、2000年に発行された2千円札。長いこと引き出しで眠ったままだ。首里城が描かれたきれいな紙幣なのに沖縄以外でほとんど流通していない。お札は生かしてこそ。そろそろ使ってあげようか。