「塩水メダカ」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 2024年9月10日
- 読了時間: 5分
更新日:3月23日
暑い夏だった。いえ、まだ残暑も長そうだ。今年は厳しい暑さとの長期予報だったから覚悟はしていたが、覚悟したからといって暑さをしのげるわけではない。
人だけでなく自然界もバテている。気のせいかセミの鳴き声も元気がないようだ。庭のヤマボウシは茶色に葉焼けしてしまった。
ペットも大変だろう。犬の散歩は陽がかげる夕方に出かける人が多い。歩道はまだ熱がこもっているから、大型犬は長い舌を出してフーフーがんばっている。
うちは犬も猫もいないが、心配なのは庭の睡蓮鉢で飼っているメダカだ。よしずを掛けて陽をさえぎっているが、20匹はいたのに半分に減ってしまった。
メダカ飼育歴は長い。20年以上前に東京のマンションで飼い始めた。小さな水槽に水温計とフィルター、ヒーターを取り付け、至れり尽くせりの過保護なペットだった。
鎌倉に住むようになり、夫がひとかかえもある素焼きの鉢でビオトープを作った。

最初は鎌倉特有の遺伝子を持つ「鎌倉メダカ」を飼いたいと思っていた。野生の鎌倉メダカは絶滅しているが、滑川水系固有の純粋な鎌倉メダカと推定される種が保存されていると聞いたのだ。他にも逗子メダカ、小田原メダカ、三浦メダカ、とそれぞれの地域で固有メダカを大切に育てているという。
鎌倉メダカを飼うにはさまざまな条件があって、エサや藻にも細心の注意を払わなくてはならない。種の保存のためには当然のことだが、責任重大だ。自信がなくて断念した。
これまで飼ったのはどこでも手に入る普通のメダカだ。睡蓮鉢は、室内のアクリルの水槽よりずっとストレスが少ないようだ。日の出と日の入りを感じ、広々して隠れる場所もたくさんある。メダカはのびのび暮らしている。
ただマンションメダカのように過保護ではないから、危険もいっぱいだ。大雨で水があふれて流されそうになるし、ヒヨドリがいきなり水浴びを始めたりする。
鉢にヤモリが浸かっていたときはおどろいた。縁に手をかけ顔を出している様は露天風呂でくつろいでいるように見えたが、脱出できなかったのかもしれない。メダカは全員深いところの壁際に避難していた。
サギに襲われたこともあった。たぶんサギだろうと推察している。よく滑川や八幡宮でサギを見かける。白いサギが多いがきれいなのはアオサギだ。背中が青みを帯びた灰色ですらりと足が長い。隣家の瓦屋根で羽を広げる姿は神々しくて「アオサギ降臨」とおがみたくなる。
ある朝、睡蓮鉢の回りにタニシの殻がいくつも散乱していた。殻だけで中身がない。きっとサギのしわざに違いない、と夫は言う。想像するに、夜明けとともにサギが庭に舞い降りて、鉢をのぞく。そして優雅にくちばしでタニシを拾い、殻の中を食べて、またくちばしを水に突っ込む。ゆっくり時間をかけて朝ご飯終了。かわいそうにタニシは鉢にひとつも残っていなかった。すばしこいメダカは助かったようだ。でも、よほど恐怖だったのだろう、それから何日も隠れて姿を現さなかった。
ただ、普段でも別になついているわけではない。エサをあげるときに寄ってくるだけだ。それがいいのだ。食べて泳いで繁殖して、単純な生き方がうらやましいメダカの一生だ。
毎年春にたくさんの卵を生む。赤ちゃんは5ミリにも満たない糸くずのようだ。しばらくは「ここはドコ? 私はダレ?」ときょとんとしているが、そのうち尾びれを小刻みにふるわせて泳ぎ出す。成長するにつれ個性が出てくるのがおもしろい。ミジンコを粉にしたエサをあげるといち早く飛び出してくる子、水蓮の葉の陰で様子をうかがう臆病な子、いつも兄弟を追い回している子、いろいろだ。見かけはどの子も区別がつかないのに、ちゃんと性格がそなわっているんだなあと愛おしくなる。
鉢の脇にしゃがんでメダカを見ていると、飽きない。心が落ち着くというか、自分がやさしくなるような気がする。でも、それも夏の間はおあずけ。熱中症になりかねない。
地球上には過酷な暑さの中で命を繋いできたメダカがいる。
アメリカのデスバレー(死の谷)でメダカの仲間に出会った。カリフォルニア州に広がる広大な乾燥地帯は、夏に気温が50度を超える。映画「スターウォーズ」のロケ地でも知られるが、殺伐とした岩山が続く風景は生き物の気配を感じられない。
メダカが生息しているのはソルトクリーク(塩の入り江)と呼ばれる場所だ。ゴツゴツした岩場に、冬の数カ月だけ水がしみ出て小川が現れる。この水がとんでもなく塩辛い。海水の5倍くらいの濃度だ。かつてこのあたりは巨大な淡水湖だったのが、1万年かけて干上がるにつれ淡水が塩水に変わったという。
小川といえば小川だが、茶色の乾いた土に水が溜まっているだけで、藻や水草もない。こんなところにメダカが?と疑っていたが、深さほんの数センチの川を眺めると、いた。小さな魚の群れがあちこちに。私が身を乗り出してのぞき込むと、群れははじかれたように一斉に逃げた。
確かにメダカだ。むかし小川で見たメダカの集団の動きとそっくりだ。
この魚は「パップフィッシュ」という名前。海水よりずっと濃い塩水でも生きられるように進化したのだそうだ。それだけでもすごいが、小川が干上がる夏場はどうしているのか。親は短い命を終えるが、産卵した卵が川底(土の中)のわずかな水分で生き残り、地面に水がしみ出てくる冬が訪れると孵化して稚魚が泳ぎ出すという。
すさまじい生命力だ。生き延びるために壮絶な自己改造を成し遂げたメダカ。ただ食べて泳ぐ単純さに癒やされるとのんきに眺めていては申し訳ない。小さな魚が生命の神秘とたくましさを教えてくれた。
さて、日本では気温40度に迫る猛暑が、異常気象ではなく当たり前になりそうだ。きっと来年も、その先も暑いのだろう……。しかたないか。気候の変化に適応していくしかない。ささやかながら貴重な命であるメダカも、私たちも。