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「古民家」

更新日:3月22日

「どうぞ、靴のままでお上がりください」


古民家レストランの入り口でそう言われると、一瞬、躊躇する。


古い日本家屋を改装したカフェやレストランがブームで、鎌倉にもずいぶん増えた。その多くは靴を履いたままだ。私は心の中ですみません、とつぶやいて板張りの床にそっと足を乗せる。


先日長谷で年上のご夫婦とランチをご一緒したが、奥さんは私が玄関でとまどったのに気づいていた。


「わかりますよ、私も同じですから」


スパゲッティを食べながら、2人でそうそうと頷きあった。


古民家といってもたいていは昭和の建物。私にとっては生まれ育った家とたいして変わらないから、すぐに気持ちが切り替えられない。家に土足で入るのは火事の時か泥棒と決まっていた。


古民家レストランは洋風に改装していても昭和の暮らしが感じ取れる。畳を取り払ったフローリングのワンルーム。そこにテーブルや椅子が軽やかに置かれ広々と気持ちがいい。窓越しに眺める庭は和風のままで、よく手入れされている。照明や壁紙は変えても欄間や書院障子が残されていると、彫りと細工をいつもしげしげと眺めている。その家の人の趣味が表れていて、どんな家族が暮らしていたのだろうと想像するのが楽しい。  


鎌倉は古い家が多く残っているとはいえ、気がつくと庭ともども更地になっていて、そのうち敷地いっぱいにビルが建ったりする。


特別に価値のある家でなくても壊すのは惜しい。カフェでもレストランでも美術館でも図書館でも雑貨屋でも、木造住宅を鎌倉らしく生かしていけないかと思う。それはもう、土足だっていとわない。


リフォームではなく、移築して生かしている古民家もある。


鎌倉山の古民家で「平家物語」を聴いた。福井県から移築した江戸時代の屋敷だ。もとは庄屋だったというが、合掌造りの家はまさに豪邸だ。靴を脱いだ玄関だけでもひと部屋ある広さ。絨毯を敷き詰めた居間は五十畳、天井まで四メートルもある。この大きな空間を会場に時々コンサートなどが開かれるというが、重厚な太い柱や梁に囲まれると、現実から一気に幻想の舞台に引き込まれる。それが心地いい。公演が始まる前に気持ちはすっかりいにしえの世界に入っていた。 


源氏の都で「平家物語」とは大胆でおもしろい。


居間に飾ってあるのは六曲の屏風。源平合戦だろう、勇壮な戦の場面が描かれている。その前で語り演じるのは女優の金子あいさんで、りりしい袴姿だ。JAZZベイシスト須川崇志さんの即興演奏にのって、平家物語を原文で朗唱していく。  


古民家、男装の麗人、コントラバス。不思議で妖しい組み合わせだ。


たぶんコンサート会場で聴くより、平家物語が生々しく心に響いた気がする。


屏風絵の馬や武士たちも魂が入ったように雄々しく見えてきた。古い家の持つ「気」のようなものが、演者にも観客にも何かしら影響するのかもしれない。


昔の日本の家は寒いはず。隙間風が入り天井が高くて部屋は暖まらない。覚悟して厚着していたのに、汗をかくほど暑かった。なんと靴下の足裏からポカポカ熱が伝わってくる。絨毯の下は床暖房、50畳の広間が暖まるようになっていた。


昔の家を移築するのは時間も労力もお金もかかる。さらに古い良さはそのままで今の暮らしに適した家に改造するのはさぞ大変なことだろう。時々本物の古民家に身を置くと、家を受け継ぎ遺してきた人のやさしさが伝わってくる。     


我が家にも古民家の名残が少しだけある。祖父の家の梁2本だ。築百年を超える大きな田舎家だったが、中越地震で被災したあとに取り壊した。


書斎の天井に使った古い2本の梁の写真。
家の書斎の天井に使った古い2本の梁

地震の威力はすさまじい。今年元日に起きた能登半島地震で被害に遭われた方々のことを思うと心が痛む。


中越地震が起きたのは2004年で、祖父の家は全壊指定となった。祖父も祖母も数年前に亡くなっていて、もう誰も住んでいない空き家だった。


全壊指定の赤い札が貼られた家は立ち入り禁止だった。中を窺うと砂壁は剥がれ、天井板が落ちていた。家全体がゆがんでいたが、柱と梁はなんとか屋根を支えていた。


家を処分するのは仕方ないが、何か残したかった。山に川に畑に自然がいっぱいで、子どものころよく遊びに行ったものだ。座敷を走り回った思い出がよみがえる。


家を壊す際、梁を何本かと座敷の敷板を数十枚、敷地内のガレージに保管することにした。梁なんて取っておいてどうするのか全くあてはなかった。本当にどうするつもりだったのだろう。でも、何かが導いてくれたのか、5年後に家を建てることになった。梁ははるばる新潟から鎌倉にやってきた。


埃だらけだった梁は、洗って磨くと黒光りして艶が出た。家を建てる大工さんが「これはちょうなで削った跡だな」と興味津々でなでていた。ちょうな(釿)。初めて聞いた。石器時代からの大工道具で、大きく湾曲させた柄の先に平らな刃がついている。今は宮大工か木地師くらいしか使わず「大工道具の化石」と言われているそうだ。祖父の家を建てた明治時代には普通に使っていたのだろうか。細いカンナでひっかいたような素朴な削り跡があたたかい。


墨で書いた文字のようなものも残っていた。「何かの印か名前かなあ」。大工さんたちと顔を寄せ合って、昔の職人さんの手仕事にしばらく見入っていた。


梁は、書斎の天井に2本取り付けた。家を支える役割はしていないが、太い幹が見下ろしているとなんとなく安心する。


書斎には天窓があって朝日とともに明るくなる。長い年月天井裏で息を潜めていた梁だから、眩しくて驚いたことだろう。満月の夜は、青白い光がさして部屋がひんやり照らされる。梁の釿で削った跡が陰影を帯びて浮かびあがる。それがとても美しい。鎌倉の地で、お月見をしながらご先祖様が喜んでくれていたら、うれしい。

星野知子が描いたカタツムリのイラスト

Maison d’un Limaçon

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