「鶯色」
- 文と写真 星野 知子|Tomoko Hoshino
- 2024年3月10日
- 読了時間: 5分
更新日:3月23日
今年は暖冬だった。雪の日も冷え込む日もあったが、厚手のダウンコートはほとんど出番がなく過ごせた。梅の見頃も例年より早かったようだ。
梅といえばウグイスで、この時期ウグイスが鳴くのを心待ちにしている。今年はまだ初音を聞いていない。あの澄んだ声。ホーホケキョ、とカタカナで書ける発音は親近感がある。肌寒いうちはあまり上手に鳴けなくて、夏に向かって少しずつ上達していくのも健気だ。遠くで「ホー……、ケチョ」なんて幼い声が聞こえると、ガンバレ、よしよし、もう少しだ、と応援したくなる。
鎌倉に住んで、初めて本物のウグイスを見た。本物というのは変だが、ずっと声は聞けども姿は見せずの鳥だった。ウグイスはほぼ全国にいる鳥なので、鳴き声は時々耳にしていた。山里の田んぼの広がる風景で響き渡る声を聞くと、田舎はいいなあ、山はいいなあと深呼吸したものだ。
それが、まさか住宅地で目にするとは思わなかった。近所を歩いていたら、すぐそばで鳴き声がした。もしやと顔を向けると、庭の木の枝にウグイスがいた。
いやあ、うれしい。でも、これがウグイスですか?と疑ってしまった。
春告げ鳥らしく、鮮やかな若草色とばかり思っていたのに、羽は灰色っぽい茶色。少しばかり緑がかってはいるけれど、小さくて地味な鳥だ。それからも何度かウグイスを見かけた。うちの庭にも遊びに来てくれたこともある。しきりに枝をくちばしでつつく姿は愛らしいが、どのウグイスも私の知っている鶯色ではなかった。
鶯色ってどんな色なのだろう。メジロのようなきれいな色とばかり思っていた。たぶんウグイス豆やウグイス餅、ウグイスパンの見なれた色、明るいモスグリーンが頭にすりこまれていたのだろう。
花札の「梅にウグイス」のせいもある。強烈な絵柄だ。真っ赤な梅の花にウグイスの背中は目の覚めるような黄緑色。すっかりウグイスは派手な鳥だと思い込まされてしまった。

今の子どもたちは花札を知らないかもしれないが、私が子どもの頃にはよく花札で遊んだ。トランプや百人一首と同じように家族で遊ぶものだった。みんなで正座してちゃぶ台を囲み、真面目に「花見で一杯、菊見で一杯!」「猪(いの)、鹿(しか)、蝶(ちょう)!」と役を集めて盛り上がっていた。単純で華やかな「梅とウグイス」の絵柄は人気の一枚だった。
日本の伝統色の鶯色を調べると、「灰色がかった緑褐色」「くすんだ黄緑色」だそうだ。確かに地味だが、渋くて気品がある。それが長い年月の間に色の範囲が広がって、明るめの色味も一般的になってきたのだろうか。
着物にも「鶯色」「鶯茶」という色がある。私の特別な一枚、お気に入りの着物も鶯色と言っていたが、もしかしたら違うかもしれない。
父が亡くなってしばらくしてから着物の整理をした。服は処分できても着物はなかなか手をつけられないものだ。父は着物が好きで普段でもよく着ていた。生地が薄くなったり色あせた着物は処分し、使えそうなのは洗い張りに出そうと選り分けていた。その中で無地の紬が目を引いた。明るい深緑で少し灰色がかっていた。きれいな鶯色、とそのとき思った。
「これ、私が着るわ」と、女物の単衣に仕立て直した。
シャリッと着心地が良く、自然に足さばきが男っぽくなる。180センチ以上あった父に似て私は背が高く、骨格も似ているらしい。私がその着物を着ると、母は「なんだか、お父さんがいるみたいだねえ」と笑っていた。
鶯色だと早とちりしたこともある。20代のころ、一時ウグイスのフンで作った洗顔料を使っていた。シミに効いて色白になるということだった。ウグイスのフンを乾燥し粉にした商品で、「ウグイスの粉」という名前。いくつかの会社が販売していた。
私が使っていたのはパッケージに若草色のウグイスの絵が描かれていて、中の粉は白だった。鶯色のはずがないのに、当時、化粧品は人工的に着色したものが普通に出回っていたからだろう、私は淡い緑色を想像していたのだった。
「ウグイスの粉」に興味を持ったのは、谷崎潤一郎の「春琴抄」だった。盲目の三味線の師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いた作品だ。
美貌の春琴は肌の手入れに余念がない。飼っているウグイスのフンに糠を交ぜて顔を洗っていた。春琴の肌がいかに美しかったか。それはもう――。色が抜けるほど白くて、皮膚が世にもなめらかで、いくつになっても肌に若々しいつやがあって、襟元などは見ている者がぞくぞくと寒気がするように、という描写。女性でも春琴の肌に触れてみたくなってくる。盲目の美しいお師匠さんとウグイスのフンという取り合わせが私の脳裏に妖艶な映像として残り、好奇心もあって「ウグイスの粉」を試してみたくなったのだ。
ウグイスの粉を手のひらに一振りし、少しの水で溶かして顔に塗る。独特のにおいが少し気になったが、洗い上がりがしっとりした。色白になったかどうか、定かではない。
ウグイスのフン美容法は江戸時代には普及していて、銭湯で使っていたそうだ。江戸の女性たちも美肌のため日々努力していたわけだ。
鎌倉に来てからは、湘南の強い日差しと潮のせいか、私はずいぶん日に焼けた。また究極の自然派化粧品を使ってみたいが、残念ながら本物の「ウグイスの粉」は製造中止で手に入らない。野生の鳥は捕獲も飼育も法律で禁止され、輸入もできない。それでいい。ウグイスにとっては安全でよい時代、自由にどこでも鳴くことができる。
さて、この原稿を書いている間にも梅はどんどん咲いて、次は桜前線が始まる。
春の色も続々と目を楽しませてくれる。萌葱色、柳色、梅鼠、若芽色……。日本の色は憂いを含んでやわらかい。風に乗って、ウグイスの声も、聞こえてくるだろう。