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​バイオグラフィー

下線の番組IDをクリック>公益財団法人放送ライブラリーで参照
長岡市の悠久山公園

​長岡市・悠久山の桜

星野知子は、新潟県長岡市の旧市街で、父星野智三郎、母星野悦子の長女として生まれた。先祖は戦国時代に三河牛久保城主の牧野氏に仕え、上州を経て越後移封に従った。越後長岡藩の立藩から幕末まで代々長岡藩士だった。高祖父の星野貞固(さだかた / 瀬平)は、慶応4年(1868年)に家老河井継之助が指揮した北越戊辰戦争で戦没した<脚注1>祖父は、長岡出身の小説家松岡譲やフランス文学者の堀口大學と旧制長岡中学の同期。その縁で太平洋戦争中に、松岡譲と、松岡が結婚した夏目漱石の娘の筆子、漱石の孫半藤末利子が、星野の祖母の実家佐藤家に疎開<注釈1>していた。半藤末利子の夫で作家の半藤一利も戦時中に長岡へ疎開、星野の叔父とは旧制長岡中学の同級生だった。星野は、長岡市立千手小学校から長岡市立南中学校へ入ると、1年上級生にのちに時代小説『天地人』などで知られる小説家の火坂雅志がいた。その後、祖父、父と同じく新潟県立長岡高校に進んだ。

<脚注1> 週刊朝日MOOK『司馬遼太郎Ⅱ』(星野知子「私と司馬さん」)朝日新聞出版、2007年

<注釈1> 半藤末利子の著書『漱石の長襦袢』(文藝春秋、2009年)には、「よりにもよってその年は記録的な豪雪となった。積雪は2階家をすっぽりと埋め、電柱や電線につまずくほどであったから、こたつしか暖房のない屋内は白い壁に覆われた冷蔵庫そのもので、昼なお暗かった。……裏庭には高い高い杉の巨木が林立していて、天辺にたくさんのふくろうが棲みつき、夜になるとホーホーと物哀しげに鳴いた」と、戦時中の疎開先だった旧家の佐藤家の様子が描写されている。

星野知子(右)と北杜夫(左)の写真。旅番組の収録で訪れたウィーンで。
星野知子の卒業写真。法政大学の卒業式で。

​法政大学の卒業式

「もうひとつの旅」のウィーンでの収録風景、​北杜夫さんと

法政大学社会学部へ進学のため上京してすぐ、いわゆる「五月病」になり、心配した母が服飾誌『装苑』の専属モデル募集に娘の写真を送ったのがきっかけで芸能界に入った<脚注2>。大学在学中に『装苑』の専属を2年間つづけ、のちに星野知子が主演に起用されるNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のモデルとなった立木写真館3代目の立木香都子の次男で、写真家の立木義浩も星野のグラビアを撮影していた。同じころ、日本航空が企画した「ジャルパック」のイメージキャラクターに起用され、メキシコで撮影されたCM「人間旅情」<脚注3>に出演、テレビ画面に初登場した。さらに在学中に、TBS系列で放送された「もうひとつの旅」(毎日放送・松山善三プロダクション共同制作)の海外レポーターを務め、小説家の北杜夫や作曲家の團伊玖磨とともに、フランスやイタリアなどで番組が収録されている。

 

<脚注2> 週刊朝日連載・山下勝利著『早過ぎる自叙伝~25人のまぶしい女たち』朝日ソノラマ・アシーネ、1984年

<脚注3> [ジャルパック MEXICO「人間旅情」] 放送ライブラリー 番組ID:A27456 ACC東京クリエイティビティアワード / ACC-CMフェスティバル第18回テレビフィルムCM部門秀作賞

星野知子のデビュー写真(1980年2月22日)東京・渋谷のNHKで撮影
実写版ドラマ「サザエさん」主演の星野知子(右)と小野寺昭(左)。番組制作発表会で。

デビュー2年目、ドラマ版「サザエさんスペシャル」でマスオ役を演じた小野寺昭さんと

​デビューの日、1980年2月22日「なっちゃんの写真館」の制作発表で。22歳

星野知子が大学4年生の1979年秋、NHKで行われた「なっちゃんの写真館」<脚注4>のオーディションを受け600人の応募の中から主役に決まり、西城夏子役を演じた。夏子の夫役の滝田栄とのさわやかで明るい演技が評価され、最高視聴率45.1%、平均視聴率39.6%を記録した。のちになって、「女優という気持ちはあまりなかったんです。半年間、NHKに就職したようなものだった」と語っている<脚注5>。主演第2作となるフジテレビのドラマ「サザエさん」では、一転してコミカルな役を演じた。1982年にフジテレビの「ミュージックフェア」<脚注6>への出演が決まり、俳優の南田洋子、長門裕之夫妻のあとを受け第4代司会者を1988年まで6年間にわたって務めた。1987年には、テレビ朝日が企画した新しいニュース番組「ニュースシャトル」のメインキャスターに抜擢された。アシスタントキャスターを同局アナウンサーの朝岡聡が担当した。当時の日本では芸能人キャスターの草分けとして、内外のメディアから注目された<脚注7>。キャスター初登場の10月19日が世界株価大暴落(ブラックマンデー)の当日で、番組が終了する1989年9月までに日本初の宇宙ステーションとスタジオとの交信、ソ連のゴルバチョフ書記長の改革ペレストロイカ、中国の天安門事件、ベルリンの壁崩壊前夜など、世界を揺るがした激動期のニュースを報じた。

 

<脚注4> [連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」] 放送ライブラリー番組ID:001589

NHKアーカイブス、ダイジェスト動画「なっちゃんの写真館」 (第25作)

<脚注5> 週刊朝日連載・山下勝利著『早過ぎる自叙伝~25人のまぶしい女たち』朝日ソノラマ・アシーネ、1984年

<脚注6> [ミュージックフェア'86 1100回記念] 放送ライブラリー 番組ID:004476

<脚注7> The Japan Times, "Tokyo's only actress-newscaster finds early viewer criticism replaced by praise", May.5.1988

「ニュースシャトル」の�メインキャスター・星野知子

​ニュースの本番前に

1980年代にドラマだけで50本近く出演した星野知子だが、1990年代にはドキュメンタリー番組への出演の機会が増えた。星野は、25歳だった1983年に個人のプロダクション会社「リマソン」と、ドキュメンタリー番組を制作する会社「悠」の2社を設立し、自らもプロデューサーとしてTBSの「地球浪漫」「新世界紀行」などに提供していた<脚注8>。1989年に「ニュースシャトル」が終了するとすぐ、テレビ朝日のドキュメンタリー「ネイチャリングスペシャル」を撮影するため、ブラジルのアマゾン奥地で1カ月半にわたり先住民族の村に暮らし、「欲望の大河アマゾン」<脚注9>として放送された。この番組は、日本民間放送連盟賞(第38回教養番組最優秀賞)、ギャラクシー賞(第28回奨励賞)、放送文化基金賞(第17回ドキュメンタリー部門奨励賞)、ATP賞(第8回ベスト22番組)など4冠を得ている。またこのときに、エッセイストのデビュー作となるノンフィクション作品『濁流に乗って~欲望の大河アマゾン』を出版した。さらに、番組制作会社「悠」を通じ、星野知子が制作・出演の両方を担った「フランス縦断運河大紀行」(1991年、テレビ朝日)「ヨーロッパ・ガラス工芸紀行」(1995年、NHK-BS)「ドイツ夢街道~王と皇帝の道」(2000年、テレビ朝日)などの番組が放送されている。

<脚注8> 日本経済新聞、「ただいま制作中・一瞬に立ち会う感動」、日本経済新聞社、1991年12月13日

<脚注9> [ネイチャリングスペシャル 欲望の大河アマゾン] 放送ライブラリー 番組ID:004544

星野知子主演・映画「やがて…春」のポスター

いじめ問題を描いた映画「やがて

長岡花火・白菊

長岡花火・白菊と信濃川にかかる長生橋

映画では、橋本忍、森田芳光、大林宣彦の監督作品などに出演してきた。映画への初出演作は、1982年公開の橋本忍監督・東宝創立50周年記念作品「幻の湖」だった。黒澤映画の脚本で知られた橋本忍とはその後も交流があった。星野知子は、脚本を読むことでエッセイストとしても成長できたと語っている。1986年には、社会問題化した学校のいじめを真正面から描いた作品「やがて…春」に主演し、文部省選定を受けて各地の学校でも上映された。小説家渡辺淳一の原作をもとに森田芳光が監督した映画「失楽園」では、星野と同じく「なっちゃんの写真館」でテレビドラマにデビューした役所広司の妻の役を演じ、1998年の日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞した。森田監督の作品では、2011年に公開された「僕達急行 A列車で行こう」にも出演した。星野が初めて、出身地の長岡を舞台にした映画に出演したのは、大林宣彦監督の「この空の花 長岡花火物語」だった。太平洋戦争末期の1945年の長岡空襲と、長岡花火の歩みを描いた作品で、ハワイやシベリアで鎮魂の花火「白菊」を打ち上げた花火師、嘉瀬誠次が主人公のモデル。星野はこの映画で、嘉瀬の娘、嘉瀬泰子の役柄を演じた<注釈2>

 

<注釈2> 花火師の嘉瀬誠次は、第2次世界大戦後シベリアに抑留され、そこで亡くなった戦友のために毎年8月1日、白一色の鎮魂花火「白菊」を打ち上げた。星野知子は長岡にいたころ、毎年のように信濃川の河畔でこの花火を見てきた。映画「この空の花 長岡花火物語」の撮影中、星野が演じた役柄である嘉瀬の娘泰子から「自分の役をやってもらえて嬉しかった」と話しかけられたという。

杉本鉞子著『武士の娘』表紙
杉本鉞子にゆかりの梅の木を見上げる星野知子

​稲垣家ゆかりの梅の木 長岡市で

杉本鉞子が著した "A Daughter of the Samurai" 1934, NEW YORK

星野知子 蔵

星野知子は、エッセイ・随筆の著作でも知られる。ノンフィクションとして発表された『濁流に乗って~欲望の大河アマゾン』以降、世界50カ国以上を旅してきた経験から、おもに紀行や海外アートをテーマにした書籍が出版されている。著作活動と並行して、2001年からNHK-BSの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を3年間担当した。また2000年代には、報道ドキュメンタリーを手がけたNHKのシニアエグゼクティブプロデューサー川良浩和の働きかけで、放送80周年記念番組「平和巡礼2005 HIROSHIMA~世界に伝えよう被爆者の心」や「神々の森へのいざない~春日大社 悠久の杜」など、日本の平和や文化といったメッセージ性のある番組に出演した。川良浩和の製作で2015年にNHK-BS1スペシャルで放送されたドキュメンタリードラマ「武士の娘~鉞子(えつこ)とフローレンス」は、ドラマの主人公である越後長岡藩元家老の稲垣茂光の娘、杉本鉞子の物語。鉞子が渡米後に英文で『武士の娘』を著し、日米の架け橋となるまでの生涯が描かれた。この番組は、鉞子と同郷の星野から川良へ直接、ドラマ化の企画を持ちこんで実現させた<注釈3>。星野自らも、鉞子の功績を分かりやすく読み解く『今を生きる〝武士の娘〟〜鉞子へのファンレター』を執筆し、講談社から刊行された。

 

<注釈3> NHK-BS1スペシャルで放送された番組「武士の娘~鉞子とフローレンス」は、主役の杉本鉞子を女優の水野真紀が演じ、鉞子を支えた米国人女性フローレンスをシンシア・チェストンが演じた。星野知子自身は、杉本鉞子の墓参などドキュメンタリーの場面で出演したほか、ドラマのナレーションを担当している。

私生活では、2008年に朝日新聞社の元モスクワ特派員だったジャーナリストで、現在は作家の横村出(よこむら いずる)<注釈4>と結婚した<脚注10>。翌2009年に東京都内から神奈川県鎌倉市へ転居している。2023年に、小学館の元編集者が設立した敬文舎から、鎌倉暮らしの四季折々をつづったエッセイ『星野知子の鎌倉四季だより』を出版。2023年に逝去した日本藝術院会員で芥川賞作家の三木卓が月刊誌『かまくら春秋』に30年間連載した「鎌倉その日その日」のあとを引き継ぎ、星野知子が「新 鎌倉その日その日」を2024年1月から執筆している。

 

<注釈4> 作家・ジャーナリスト|横村出公式ホームページ

<脚注10> 週刊朝日、「星野知子の結婚のお相手は朝日のベテラン記者」、朝日新聞出版、2008年6月6日

*文中、敬称を略して表記しています。

星野知子(2025年1月撮影)

​2025年1月 鎌倉・七里ヶ浜のスタジオで

星野知子が描いたカタツムリのイラスト

Maison d’un Limaçon

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